年収が1000万円から300万円へ!?元プロの競輪選手が語る「お金に対する価値観」

お金と幸福度は比例しない。

33歳のいまの私の年収は300万円にも満たないが、それでも間違いなく人生の中で今が1番活力に満ちていると自信を持って言える。

年収1000万円。これは私が21歳の時の収入だ。

当時の私はプロの競輪選手として北は北海道から南は熊本まで全国各地を飛び回っていた。

私は幼少期から自転車が好きだった。好きなことを仕事にしたいという理由と、高収入に憧れて7歳の時からプロの競輪選手になることを夢見た。

競輪選手という職業は当時、トップ選手ならば年収1億円以上の収入を得ていた。幼かった私は「大きくなったら両親に家と車をプレゼントしてやるんだ」という想いから高収入を目指していた。

高校は自転車競技部の強豪校に進学し、インターハイや国体などでも入賞を果たした。

元来、運動神経の悪い私だったが、努力と熱意だけで19歳の時に競輪学校の入試試験に合格し、20歳でプロの競輪選手としてデビューした。

競輪選手の収入は他のプロスポーツ選手と比べてもかなり優遇されている。私がデビューした時(平成18年頃)の競輪選手の平均年収は約1000万円。ギャンブルスポーツであるという点が他のプロスポーツと違い収入が優遇されている理由である。

(ちなみにプロボクシングの世界では日本チャンピオンでもアルバイトをしながら活動をしているという実態がある)

私は競輪選手としては全くと言っていいほど無名の選手だったが、それでも21歳で年収1000万円という収入を得た。

だから当時は同級生より少しだけ派手に遊んだ記憶はある。競輪選手は遠征先での仕事が主で、全国を行脚する。行く先々の地方で観光をしたり、地元の高級食材を食べながらお酒を飲むというのが当時の私のお金の使い道だった。

とはいえ、年収1000万円程度だと税金などで引かれる金額も多かったのであまり蓄えはできなかったという実情もある。

しかし、この時はどんなにお金を貰っても心が満たされることはなかった。

頭の中をよぎるのは常に不安ばかりだった。

  • 負け続ければ解雇される
  • 解雇されたら人生が終わる
  • 明日勝てなかったらどうしよう

  • そんなことばかり考えていた。

    競輪選手は当時、成績の悪いものから順に年間120名が首切りにされていた。

    成績不良はもちろんのこと、落車などで骨折でもしたら、私の実力では解雇は免れなかった。

    21歳の時、目眩と吐き気が止まらない日が続いたことがある。

    病院に行ったら鬱病と診断された。精神的なプレッシャーと肉体的な疲労がピークに達したのが原因だった。

    この頃は人として当たり前のことができなくなっていた。朝ごはんを食べるとか、夜眠るとか、そんなことすらできない毎日だった。何をするにも無気力で、無機質な日々がただただ流れていった。

    22歳で鬱病の症状はなくなったものの、茫漠とした焦燥感がなくなることはなかった。

    結局、競輪選手は28歳で解雇された。デビューから7年半のプロ戦績は500戦70勝。70勝したことよりも430回負けても立ち上がってきたことのほうが今の私にとっては誇りである。

    競輪選手を引退したあとは中々就職先が見つからなかった。私は最終学歴が高卒(偏差値35)で、社会人経験もなかったから、ずいぶんと就職活動では書類選考落ちが続いた。

    幼い頃からの夢を叶えた者が、夢から醒めた瞬間に社会から居場所がなくなるという現実をまざまざと見せつけられる瞬間だった。

    はじめて社会人として受け入れてくれた会社は引っ越し業だった。自分なんかを受け入れてくれる会社があるというだけで当時は幸せな気持ちになったのを覚えている。

    引っ越し業はダンボールを持って階段を駆け上がったり、大きな冷蔵庫を運んだりと、とにかく体力勝負だったから、プロスポーツ選手として培ったスキルがずいぶんと役に立った。

    ここでの年収は216万円だったけど、引っ越しを終えた人が目の前で喜んでくれる姿が見れるのは新鮮な感覚だった。(競輪選手だった時は勝っても負けてもファンから罵声を浴びせられるのが常だった)

    競輪選手の頃と比べると随分と年収は下がったけれど、節約などいくらでもできるものだとこの時に知った。

    例えば、昼ごはんには自宅で作ったおにぎりを持っていったり、居酒屋に行くのをやめて自宅で晩酌をしたり、会社の通勤を自転車通勤にしたりなど、収入が少ないぶん節制はした。

    引っ越し屋の仕事はとても楽しかったけれど、結婚を考えた時に今の収入のままでは厳しいと思い、少しでも収入をあげるために営業職に転職することを決意した。

    もちろん、私の経歴で書類通過をさせてくれる企業などほとんどなく、何十社となく書類で落ちた。そんななか、リクルートという大きな会社から内定を頂くことができたのは望外の喜びだった。

    大企業に入社できたことでようやく人並みの収入と社会的信用を得ることができたのは大きかった。

    リクルートという会社には今でも言葉にはできないほどの感謝をしている。

    タイピングをした経験もないまま、日本を代表するIT企業(リクルート)に入社した初日、パソコンの電源をつけるまでに20分かかったことを昨日のことのように覚えている。

    この会社ではいくつか賞を頂き、入社1年目で新規営業部のリーダーも勤めた。

    入社したばかりの時は他の人の5倍は飛び込み営業をした。人より頭が悪かったから、行動量でそれをカバーした。

    飛び込み営業は基本的に怒られるのは当たり前で、警察を呼ばれたこともあった。そんな過酷な毎日だったけれど学べることは多かった。

    どんなに頭が悪くとも骨身に染みるまで失敗すれば何でも覚えられるものだと知った。

    リクルートでは飲食店の広告営業をしていたので、休みになるとエリアで人気の飲食店に行き、調査も兼ねてご飯を食べに行った。

    リクルート在籍中のお金のほとんどは飲食費に消えた記憶がある。

    リクルートには2年間いた。その後、もっと社会にインパクトを与えたいと思い転職を繰り返し、LITALICOやリブセンスなど東証1部上場企業も2社経験した。

    いまの私は複数の会社と業務提携をしながら、個人事業主として活動している。

    活動内容としては、キャリアアドバイザー、音楽プロデューサー、アートプロデューサー、プロスポーツ選手の支援活動、ライティング活動、コミュニティの運営、オーガニック野菜の広報活動、ダイエット講師のサポート業、駅伝チームの作成など挙げればキリがない。

    いま携わっている全ての仕事が社会にインパクトを与えることができるスペシャルな仕事だと思っているから、ほとんど自分の収入にならなくても楽しくて仕方がない。

    自分の事業を通じて、信用できる仲間が随分と増えた。「信用できる仲間はお金より尊い」と、いまならばいえる。

    わかりやすい話しとして置き換えるならば、年収1000万円だった頃の私が仮に全てを失ったとして、助けてくれる人など当時は家族以外にはいなかっただろう。

    しかし、いまは違う。年収は300万円程度だが、仮に全てを失ったとしても助けてくれるだろうという人が家族以外に少なくとも何人かはいる。この差は大きい。

    これは断言できるが、信用できる人が1人いるということは、少なくともそれだけで1億円以上の価値がある。まだこのことが分かっていないのであれば、あなたには信用できる人が1人もいない可能性が高い。

    お金を稼ぐことに対して、私は否定的なわけではない。むしろ、社会貢献の対価としてお金が手に入るわけだから、やり方を間違えずに得たお金は尊いものだと思っている。

    私がいま関与している仕事の中でもっとも情熱を注げるものはプロデュース事業だが、いずれ私がプロデュースしている全てのアーティストには物心両方の面において豊かになってもらいたいと願っている。

    そのためには、お金という「物」を手に入れるために信用という「心」の部分を先に世間にわかってもらう必要がある。「心」をわかってもらうためにはお金の先行投資が必要だ。

    歴史を遡って見ても、偉大な企業は「心」をわかってもらうために先行投資をしている。

    例えば、今や世界一の企業となったアマゾンは顧客満足度を高めるために7年に渡り、赤字を垂れ流した。当時、EC事業はマネタイズ不可能と言われている中、それでも信用の獲得に余念がなかった。

    中国ナンバーワンの企業であるアリババもそうだ。アリババは最初の3年間の収益は100円にも満たなかった。そうやって、一時のお金を捨てることで信用形成を図りブランディングをしたのだ。

    信用さえ失わなければ、再建することはできる。ただ、信用を失えば全てを失う。

    お金と信用は限りなく同価値なのだと私は認識している。

    ちなみに、いまの私のお金の使い道のほとんどは私が信用している人たちのために使っている。この使い方が1番気持ちがいいと気付いたからだ。

    お金を持っていれば安心、正社員として厚生年金に入っておけば老後は安泰、などという半世紀前の常識はすでに崩壊しつつある。「老後に2000万円足りない問題」は記憶に新しいが、すでに国の社会保障制度は崩壊しつつある。

    日本はこれから空前絶後の少子高齢化時代に突入し、自分の老後は自分で守らなくてはいけない時代がくる。

    そんな時代なのに「国が何とかしてくれるだろう」と信じ、生殺与奪の権利を国側に預けるのは幾ら何でも危険すぎる考えだと私は思う。(私は人より頭が悪いが、そのくらいのことはさすがに分かる)

    お金は元々、信用のやり取りから生まれた。

    いま、その認識が一般的に薄れてきているように思う。

    信用を失う代わりにお金を得るような、そんなビジネスが近頃は横行しているような気がする。今一度、正しく仕事をして、正しく対価を得る方法を学ばなければならないと思う。

    また、お金の使い道として、職場の同僚と上司の愚痴をいいながらジャンクフードを食べてお酒を飲んだりするのも一つではあるとおもうが、時には身近にいる大切な人が喜んでくれるような、そんなお金の使い方をしてみたらもしかしたら価値観が変わるかもしれない。

    お金の奪い合いの先に未来はない。

    そのことに全ての人が気付いたら、きっとこの世界はよくなっていく気がする。

    お金はあくまでも信用創造のためのツールにすぎないと私は思う。

    著者:清水裕也

    元プロの競輪選手。28歳にプロ引退後、上場企業を数社行き渡った末に、「社会にもっと大きなインパクトを与えたい。」という理念の元、音楽プロデューサーやキャリアアドバイザーなど、個人事業主として現在は幅広く活躍中。

    Twitter:清水裕也@元競輪選手の音楽プロデューサー

    note:清水裕也