自分と誰かの夢を紡ぎ続ける大切な資産


私にとってお金とは、夢を叶えるための大切な資産です。夢を叶えることは、自己満足だけでなく周りの人々の人生の豊かさにもつながると思っています。



こんにちは、須河沙央理です。

私は今、会社員として働きながらマラソン選手としても日々トレーニングを積んでいる26歳です。

中学から陸上競技を始め、高校、大学、実業団と競技生活を送りました。国体での入賞のほか、インターハイ、全国高校駅伝、関東インカレ、全国都道府県対抗駅伝への出場経験があります。

度重なるケガの影響もあり、新卒入社した実業団の1年目に一度競技を離れ、一般社員として約1年半働きました。それでも、マラソン選手として日の丸を背負いたいという夢が捨てきれず、選手として競技に復帰する道を選択しました。

そんな夢を持ち続けることができたのも、金銭面でも精神面でもすべてにおいて私のことを背負ってくれた両親の存在があったからだと思っています。




中学卒業後、県内の陸上強豪校への進学と同時に、3年間下宿生活を送りました。

私の生まれは、人口500人の小さな村で、村外へのアクセスは急峻な峡谷を抜けなければなりません。高校では朝早くから夕方遅くまで練習を行うため、村からでは交通手段がないので、親元を離れることが必然的でした。

アパート代、朝・夕食代、昼食の弁当代、授業料、教材費に加えて、部活動費やシューズ・治療代など、月額で十数万円を両親が負担してくれていました。1つ上の兄も同じく陸上部で下宿生活をしていたので、十数万×2人分です。週末になれば、パンやジュースなどの買い出しをしてきてくれて、兄と共同で使っていた冷蔵庫はいつも一杯でした。

練習やレース等で休みがほとんどなく、実家に帰るのは年に数える程度だったので、週に1回両親が来てくれるだけでほっとした気持ちになりました。

アパート代を払って行くからと言われた帰り際に、「いくらかかっているの?」と聞いても「そんなこと知らなくていい」の一点張りで、「あなた達が大人になってからいろんな所に連れて行ってほしい」、「歳は取ったけど大学にも行かせてほしい」、と冗談交じりに笑う姿が印象的でした。

自分のことは二の次で、子供のために目一杯尽くしてくれる両親の姿を見て、中途半端に諦める人間にはなりたくないという思いが強くなりました。これだけやってもらった対価は何かと考えたときに、やはり私が夢を叶える姿を見せることが何よりの恩返しであると思いました。

また、高校時代は疲労骨折を繰り返し、2度の手術と入院生活を経験しました。周りからは能力が高いと言われながら、故障に泣いた高校時代でした。金銭的に大きな負担をかけ、さらには全治3か月と言われて病院から泣きながら電話をしてくる娘に、両親はどれだけ心配したことかと思います。




大学にはスポーツ推薦で入学したものの、競技レベルが足りず、授業料免除などの特別制度を受けることはできませんでした。競技に集中するため、部の方針でバイトは禁止されていたので、ここでもやはり両親に頼らざるを得ませんでした。

しかし両親は、嫌な顔ひとつせず、授業料だけでなく生活費や部活動費など毎月仕送りをしてくれました。

ただ、大学でも目立った成績を上げることができませんでした。

個人種目で主要大会に出場することはできましたが、チームとして最も力を入れていた駅伝でメンバーに選ばれることは一度もありませんでした。高校時代のように大きなケガはしないが、なぜか走れないというもどかしさの中で4年間を過ごし、たまに電話で話す母親には愚痴をこぼし、年に数回顔を合わせば自分の選んだ進路に対する後悔の念ばかりを口にしていました。

そのうちに母親も大学生活のことは私に聞かなくなりました。

今振り返ってみると、高い学費や生活費を負担してもらっておきながら暗い顔をしていた自分を恨めしく思うのと、両親には申し訳ないという気持ちでいっぱいです。

それでも走ることが諦められず、実業団に入ることを目指していくつかチームの練習に参加したり、直談判しに行ったりしましたが、断られ続けました。

「高校時代の走りなら採用したかったけど、、」と昔の走りを評価してもらえたものの、大学4年間で全く実績のない私を採ってくれるチームはもちろんありません。

周りの友人やチームメートが次々に就職先を決める中、私は就職活動もせずに走るための道を探していました。

大学で教員免許を取得していたので、もし実業団が駄目なら採用試験を受けるために勉強しようと腹を括っていたところ、1つの実業団チームから声がかかりました。すぐに返事をして内定をもらい、大手衣料品会社の実業団選手としての生活が始まりました。




陸上部専用の寮に住み、1日3食、管理栄養士が食事を作ってくれました。社歴にもよりますが、新卒1年目だった私は寮費も食費も支払わなくて良かったため、給料のほとんどは貯金に回していました。

また、1カ月の半分近く合宿へ行くこともあり、生活にかかる費用はほぼありませんでした。学生時代はひたすら両親に負担をかけていたので、ようやく自分で生計を立てられるようになったこと、しかも好きなことを仕事にできた喜びは大きかったです。

寮にはトレーニング室や治療部屋等も完備されており、走ることに専念できる環境を会社側が整えてくれていました。勤務時間もレースや練習に合わせて配慮されており、競技で結果を出せばその分評価してもらえるプロスポーツに近い体制だったと思います。

大卒入社の選手は即戦力として結果を出すことが求められており、会社が求める結果が1年以内で出なければ退部するという条件があったことも、待遇の良さから納得できます。




そういった環境に身を置くチャンスをもらいながらも、ケガを繰り返し、入部してから半年で退部することを決意しました。

「好き」を仕事にすることは難しいと感じたのと同時に、何らかの形でまだ走り続けようと心に誓った瞬間でもありました。

退部後も、同じ会社で約1年半、一般社員として働きました。給料は選手時代と変わらず、異動になった際には会社がアパート代を負担してくれていたので、気づけば貯蓄額は増えていました。

居住手当だけでなく、財形貯蓄などの福利厚生や昇給、賞与などの待遇もしっかりしていたので長く働きたいと思える環境でした。




同僚や上司、職場環境にも恵まれ、仕事にも慣れてきた頃、ある会社で陸上部が創設するかもしれないから入らないかという話をもらいました。

それが、今勤めている「オトバンク」という会社です。

当時は、陸上部がまだなく、これから作るという段階でした。創部する保証は全くありませんでしたが、走りたい気持ちが強かったので、迷いなく転職する決意をしました。

当時の職場でもまだ現役で競技を続けたいという話をしていたので、退職の際も温かく見送ってくださったことがとても嬉しかったです。覚悟を決め、気が引き締まる思いでもありました。




そして、衣料品会社から、ITベンチャーへと職種が変わりました。

陸上部など、実業団チームを持っている会社は、比較的大手の会社が多く、ITベンチャーで陸上部を持つことは珍しいと言われています。

私は、働きながら競技を行うことが可能かという実験台として、まずは8時間フルタイム勤務の傍ら、空いた時間に1人で練習をする生活を送ることになりました。このときはまだ陸上部員は存在しません。

入社後1年を経て、仕事のスキルも競技のレベルも上がってきたタイミングで正式に陸上部が発足することになりました。社員兼選手として新たに2名が入社し、マラソンで日本代表レベルの選手を出すことを目的として私を含め3名での活動が開始しました。




現在は、1日5時間勤務、3時間練習という流れで仕事と競技の両立をしています。

実業団時代は競技性が強かったですが、今は業務優先です。一般社員と同じ尺度で評価され、毎日出社し業務も練習もこなします。

しかし、今の生活はとても充実しています。「好き」を仕事にできたこと、「好き」を通して新たな世界を見つけられたことに幸せを感じています。

会社が「個」を重んじているので、自分自身を発信する機会が格段に増え、新たな出会いも増えました。人とのつながりはとても大切で、誰とどうした付き合い方をしていくかによって、自分自身の考え方も今後の人生も大きく変わってくることを実感しました。

幸運なことに、私の周りには信頼できる方が多く、アドバイスをもらったり、いろんな新しいことを教えてくれたり、確実に世界観が広がっています。外の世界に目を向けさせてくれた今の会社に感謝しています。




マラソンで日の丸をつけるという目標はまだまだ遠い道のりですが、確実に道はつながってきていると思います。

苦しみ続けた学生時代を支えてくれた両親には頭が上がりません。両親が私のことを信じ、いずれは自分の手で切り開いていけるようにとサポートしてくれたことで今の人生があります。そして、昔と変わらず出場するレースを喜んで見に来てくれる姿が、夢を叶え、夢を与えられる人間になりたいという思いを強くさせてくれます。

今は自分への投資に精一杯ですが、いずれは誰かの夢のためにサポートできる存在でありたいと思います。

著者:須河沙央理 株式会社オトバンクに所属し、仕事と競技を両立するマラソン選手。


Twitter:@ssugawan

note:須河沙央理